<目次>
また会える世界を願って 少し長い「はじめに」 p1
突然死した十八歳の青年/「死」の意味と出会う/死を学ぶ機会
第一章 亡くすことから得られるもの p25
旅立ちにたとえて p26
自分のいのちと向き合う機会/旅行といのち
求める者と伝える者の出会いを p32
遺された同じ言葉/死にゆく人から学ぶ
人は何のために生きるのか p37
満たされない思い/見いだされた人生の意味
旅立つ人からの置き土産 p43
敬遠された宇野さん/いのちを共感する時/微笑みの意味するもの
逝く人が遺す言葉 p49
最期の言葉が与える意味/「殺してくれ」という叫び
代わる言葉/看取る者の「救い」
「ごめんなさい」の祈り p62
お坊さんは呼べますか?/聞かれたくない悩み
許しを請う祈り/人を介して伝わる安心
第二章 人の「死」に仏教は何を担うか p75
現代の日本における仏教 p76
仏教への批判/応援と要請の声
言わなければ伝わらない痛み p80
住職は来てくれなかった/さまざまな痛み
お坊さんは、死んでから?
祈ることと生きること p85
チャプレンという幻想/孤独にしない関わり方
病院の中のチャペル
宗教の二つの関わり方 p93
宗教家でなくても可能なケア/宗教家でなければできないケア
心の目で見る仏の世界 p97
死を前にした苦しみ/仏の世界はどうやって見る?
「無になる」って本当ですか p101
難しい「無」の説明/苦しみに報いる世界/願う世界としての死
第三章 いのちの授業
子どもたちに伝えたいこと p108
私の「いのちの授業」/すぐわかることと、時間が必要なこと
「いただきます」はなぜ言うの?
私の感じた「死」の世界 p119
空になったベッド/夢を見ない夜/死の世界の真実
いのちを終わらせてはならない p127
いのちを手放したくなる時/私はどこにいるのか
リセットはできない p135
もろくてかけがえのない、いのち/今を生きる「いのち」
家庭でいのちを教える p141
人生を語る/私が生まれてきた日のこと
誕生を考えることの教育的効果/再考される親子のつながり
いのちの授業の可能性
第四章 病むこと、別れることの意味 p157
死 その理不尽を受け入れる p158
納得できない死との出会い
納得できない死を受け入れようとする文化
病と出会うご縁 p165
「ご縁」の示す意味/私もここに在る意味
なぜ私がこんな病気に?/原因を確かめたい現代人
ご縁と生きる
「いのちのふるさと」を思う p177
心に響く唱歌/病床で歌う唱歌/アルバムの中の人たち
「さよなら」の意味するもの p183
別れの言葉の意味するもの/「さようなら」の心
再会を願う生き方/旅立ちと「お迎え」の意味の再考
願って生きる p192
子どもを亡くすということ/子どもの柔軟な心
今という時間を生きること/悲しみをほどく慈悲
「生きる意味」と「生きた意味」
第五章 今、日本人の「死」の周りに p211
「いのちの余韻」を感じる p212
鐘の響きに/腎臓移植と日本人の「いのち観」
いのちの真実を語り合う p217
インフォームド・コンセント/真実を告げる
いのちの尊厳を考える p226
二つの「尊厳」/思慮分別を超えた尊厳
ターミナル・ケアの意味するもの p232
ターミナル・ケアとメニューの多さ/人生の乗り継ぎ地点
痛む人々の「いたみ」 p239
患者さんの苦痛/スピリチュアルな苦痛
病苦と、祈られて在る私
結びにかえて p247
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